自然感撮ノートexcite

カテゴリ:山岳( 7 )

懐かしの登山道具

信州の小屋に、今はもう使わなくなった登山道具が眠っている。
手入れもせず放ったらかしのままなのだが、かっては命を守ってくれた事もある大切な道具だ。

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グリベル(イタリア)のピッケル

山岳部に入部した当時、僕はクラブに置いてある、備品のピッケルを使っていた。
備品のピッケルはほとんどが門田製の炭素鋼であったが、一本だけ山之内のピッケルがあった。
山之内のピッケルは当時すでに神の上の存在でもあった。
だがシャフトの長さが僕の身長にマッチし、必然的に僕が使わせてもらうことになった。
山之内のピッケルは、日本刀の成分、製法を取り入れ東北大学工学部金属材研究所の指導をうけて山之内東一郎氏よって鍛造された、世界最初の特殊鋼のピッケルで、その低温下での切れ味、強度は世界に冠たる物であった。
そしてその形状の美しさは例えようが無く、一生このピッケルを使っていたいと思ったほどである。
だが大学二年生になると、自分のピッケルが欲しくなった。
当時、アルピニストの間でに人気のあったのは、門田の特殊鋼、シャルレの穴あき特殊鋼、そしてベンドやシモンといったピッケルであった。
僕は、なじみの登山道具店に門田か、シャルレのピッケルを買うつもりで出かけたのであるが、店を出た時手にしていたのは、それまで見たことも無かったグリベルのピッケルであった。
穴あきでなく、ピッケル先端の溝も斬って無かったのだが、思い重量とそのデザインに一目ぼれしてしまったのだった。

十数年前、他人に貸してシャフトが折れてしまい、もう使わなくなった。
ピッケルのシャフトはメタルの時代になり、木製シャフトの職人もいない現在、修理は不可能で、錆び付くままに放置してしまった。

ピッケル市場は現在すっかり変わってしまった。
国産のほとんどのメーカーは製造を止めてしまい、昔なかったメーカーがごく少数生まれている。メーカーと言っても個人の職人の作っている工房なのだが、若者の登山人口が激減した現在やがて姿を消していくのだろうか。

グリベルはその後、日本でも有名なピッケルメーカーとなった。
得に氷壁用のピッケルは有名である

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アイゼン

ピッケルは山男の魂と言われているが、冬山でいちばん大切な道具はアイゼンである。
ホープの8本爪鍛造品、サレワの10本爪出っ歯プレス品、梶アイゼン10本爪、出っ歯オプション爪etc,山行にあわせいろいろなアイゼンを使った。
サレワの出っ歯アイゼンは世界的に有名なアイゼンではあったが、爪を氷壁に打ち込んだとき全体がしなり不安感で怖い思いをしたものであった。
その点鍛造品は、重量は重いが、精神的には信頼感が高く僕は好きだった。

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ホエーブス725  旧旧品

冬山で一人、ツエルトの中で強風と寒さに耐えている時、一番頼りになるのがホエーブスである。
石油ストーブに無いガソリン燃料の着火率の高さ、火力の強さ、そして凄まじいまでの轟音。
夏山ではうっとおしく、怖くなるほどの轟音も、冬山では頼もしく感じられる。
強風に怯えながらホエーブスをつけたときの安心感。
凄まじい轟音が、まるで北風と戦ってくれているようにテントに響く。
熱いコーヒーで凍える体を温め、登頂へのモチベーションを高めるのであった。

クラブでは大型の625が使われたが、個人山行用に買ったのがこの725である。
ホエーブスも製造が中止になって久しい、現在はブタンコンロを使っているが。
もう熱い気持ちを込めることは無い。
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by kawasemibox | 2008-11-12 01:15 | 山岳

槍平雪崩遭難に思う。

槍平山荘付近での雪崩遭難が報じられている。
実は今年の春、僕の行きつけの眼鏡屋さんー中年ーが、この数年登山に凝っていて、目標は厳冬期の単独槍ヶ岳登山という。
僕は、単独での登山は死ぬ事と同じであるとしながらも、経験者とパーティーを組んでという前提で、数箇所のルートを教えてあげた事がある。
その中で、新穂高~槍平~槍ヶ岳(南岳)のルートは一番容易であるが、雪崩の確率が高く、本来行くべきではない。だが困った事に登る人が多い、ただ行くとすれば雪がまだ少ない12月。
できれば谷をつめず、中崎尾根に登り其処から尾根伝いに槍ヶ岳を登る事をすすめた。
こんな事もあって、今回の遭難事故に関心が起こった。

槍平は、比較的谷巾の広い場所ではあるが、雪崩が皆無だった訳でない。
前の小屋は雪崩で崩壊した為、今の小屋は場所を少し変え再建された物の筈だ。
つまりこの場所の雪崩に対する安全性は確かではないのだ。
それに槍平にいたるプロセスで、雪崩が起きればやばい沢を何回か横切っていかねばならない。
基本的には、谷筋は登らない方が良いと思う。
冬山では、経験を過信してはいけない。
四六時中雪崩が起こっているわけではない、大切なのは雪崩のメカニズムへの科学的知識と確率論的な考え方である。
今、安全に登れたからといって、次の安全を約束するものではないし、今日の安全は明日の安全を保証するものではない。
安全であった結果の集積は、単なる確率の一データーでしかないのであるが、それを普遍化して過信する人が多い。
科学的知識で裏打ちされていない経験の蓄積は、害悪以外の何物でもないのに・・・。
技術的、体力的に容易だからといって危険度の高いルートを行くというのはどんなもんだろう。

”若者のように素直になれない中年”の登山に危惧を感じるのは僕だけだろうか?
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by kawasemibox | 2008-01-03 23:23 | 山岳

NHKスペシャル・エヴェレスト街道を行くを見て。

今日、NHKで”エベレスト街道を行く”見た。
懐かしさで当時の思いがこみ上げてきた。僕が一人で歩いてからもう短いとはいえない年月が経っている。
ネパールの人々の服装の変化、村の変化、そして氷河の姿の変化、トレッキングする人達の多さに驚いたが、聳える山々の気高さは当時と同じである。

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カラパタールからのエベレスト、ヌプチェ

アンナプルナトレッキングを終えてから二週間ほどして、僕はルクラからローチェベースキャンプ、エベレストベースキャンプ、ゴーキョと歩き回った。
数々の想い出がある。
死にそうになった体験の数々。シェルパの少女たちとの不思議な一夜・・・。そして病。
最後に目に浮かぶのは、降雪の夜、半ば幻覚を見る状態に陥った状態でナムチェバザールを目指し歩く僕自身と、同行させてしまった一人の村人の姿である。
眼下にナムチェバザールの灯りを見た時、雪は止み月がこうこうと輝いていた、助かったという思いで力が抜け、凍りついた斜面に村人も僕も数メートル歩いては転び数メートル歩いては転んだ。
雪明りに照らされて白く輝く二人の光景が幻想のように目に浮かぶ。

多くの人に迷惑をかけ、多くの人の世話になった。
懐かしくも苦い想い出。限りなく楽しい想い出。
神々の住む国ネパール
僕は、心の中で”ナマステ~”と叫ぶ。
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by kawasemibox | 2007-12-29 20:51 | 山岳

アンナプルナ山麓を歩く

久し振りに、昔の写真を載せます。
ネパール・アンナプルナ山麓一周一人旅の時のものです。
今は人の写真を撮る事はほとんどありませんが、昔は風景と人の写真を撮っていました。

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ヒマラヤトレッキングは、山麓の村々を巡り歩くたびでもあります。
このような集落の民家に泊めてもらうか、近くでテントを張らせてもらいます。
ここはアンナプルナ東側の山麓の村 ベシ・サールから奥に入った所にある集落です。

11月の中旬、この集落の手前の田んぼで稲が”たわわ”に実っていました。
僕は田んぼの側を歩いていました。
何気なく稲の方を見ると芋虫のような虫が稲に噛り付いています。
僕は早速、その虫を捕まえ足で踏み潰そうとしました。
その時です、たまたま通りがかった村人が僕を制したのです。
僕は、”この虫は米を食べているといいました。”
するとその人は、”我々は米を食べている、虫も米を食べている”といって、僕の足元の虫を拾い上げ稲にとまらせたのです。
貧しくても、全ての生き物と生活を分かち合って生きるその姿に、僕はただ頭が下がりました。

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村でテントを張っていると、いろんな人が顔を見せに来ます。
老人は、薬の無心が多いのですが、子供たちはその”おおせいな好奇心”でやって来ます。
この集落の女の子たちは、とても優美でシャイな子が多く、写真の長女の子は、恥ずかしがって僕となかなか目を合わせてくれませんでした。
 
ミノルタSRT-101 ロッコール35mmF2.8 100mmF3.5
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by kawasemibox | 2007-11-17 23:19 | 山岳

”マナン”の少女達

ネパールのアンナプルナ山系の山奥に"マナン”という村がある。
かなり標高の高い地域である。
人種的にも、一つ手前の村辺りから我々と同じモンゴロイド系の人達の地域となる。
この地域に外国人が踏み込む事を許されたのは、僕が訪れたわずか数年も前の事である。
地域の独立を目指す勢力が時々、武装蜂起をしていたようである。

だが僕の目には、平和な村に思えた。
ただ銃を装備した連中が、仕留めた熊を馬の背に乗せ村に帰ってきた時の、荒々しい様子。
サイコロを振って"丁”、”半”と日本と同じ”音”で叫んで、賭博に興じ、熱狂している人達を見ると昔の東映やくざ映画を見ているような気がした。

まだ外国人の来るのが少ないのか大人には英語がほとんど通じない。
しかし12-13歳くらいの子供たちは英語をしゃべる事が出来る。
従って話は全て子供を通じておこなう事になる。

特に”おしゃまな女の子”はすぐによってきて話をしてくれる。
一つ手前の”ギャル”という村では、”ダル~マ”という小さな女の子が泊まる所を紹介してくれた。この女の子の名前を発音するのは難しく、何度も何度も発音を訂正され、正しく言えるまで許してくれなかった。

囲炉裏端、薪の光の下で村の人と食事をしていると、”ダル~マ”がやって来て、僕に結婚しているかと聞く、”ノー、独身や”と答えると17~18歳位の綺麗な女性を連れてきて僕の隣に座らせた。
僕は心ときめいたのだが、彼女は英語が全然わからない。
”お見合い”は失敗に終わった。

この”マナン”は、”ギャル”より高度が高く、広い谷あいにある。
地図上はアンナプルナⅠ峰の東正面になるのだが、ヒマラヤの峰峰は見ることが出来ない。
僕は”マナン”で2泊することにした。
・・・どうしても、アンナプルナが見てみたい!!

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アンナプルナⅠ峰とⅢ峰(正面の山の裏にわずかに頭をのぞかせている白いピ-クがⅠ峰、左手の大きな山がⅢ峰)

一人、マナンの裏山を登る。汗をかき、息絶え絶えの体に、冷たい風が心地よい。
突然大音響が、谷中に轟いた。巨大雪崩であった。
僕は写真を撮るのも忘れ、凝視した。

山を降りていると少女たちに出会った。芝刈りの少女たちである。

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女の子達は、嬉しそうにに声をかけてくれ、すぐに仲良くなった。
ちょっと歩いては、僕に炒った豆をくれる。
僕は、豆を”ほおばり”ながらながら一緒に山を降りる。
村について、女の子たちに”後で遊びにおいで”と言うと、約束どおりの時間にやってき手くれた。
どうして時間がわかったのだろう。僕は嬉しくて”カトマンズ”で買ってきたお菓子をいっぱい少女たちにプレゼントした。

ネパールの山奥の村を歩くと、人々が寄ってくる。大半は”薬”を求めてやってくる。
医学的知識の無い僕は断るが、許してくれない。
僕の目の前で服を脱ぎ、爛れた患部を見せ付ける老婆も多い。
僕は、日本から持ってきた皮膚薬を塗ってやる。持っている者が持ってない人達の為にお返しをするのは当然なのだ。
ぼくは、医学的知識が無いことを悔やんだ。

素晴らしいヒマラヤの山々、そして麓に住む人達。
かって世界の”ヒマラヤ遠征隊”の人達は、現地の人達を”迷信の世界に住む未開人”扱いにしてきた。
現地の人達が信仰し、大切にしてきた山々を勝手に踏みにじってきた。
僕は、このトレッキングで、初めて”マナスル”を見た時、そしてマナスルに向かってお祈りをする人達を見た時、涙が出た。
僕が憧れ夢見てきたヒマラヤは、アルピニストだけのヒマラヤでしかなかったのだと・・・。


奈川高原で、山野草の写真を撮りながら、北アルプスの山々を眺めていると、昔の山旅のことが想いだされる。
今回は、山旅の回想を書いてしまいました。

カメラはミノルタSRT-101 ロッコール35mmF2.8
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by kawasemibox | 2007-08-28 00:47 | 山岳

山への想い

前回、八ヶ岳冬山行の時の写真を見て以来、山への想いが消えない。


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ミノルタSR-1 コムラー24mmF3.5

八ツ峰マイナーピークより見る剣岳

技術も知識も未熟なくせに、山への熱情と突撃精神だけがあった学生時代。
山岳部での活動とは別に、一人剣岳に登った時のものである。
水も食料もなしに2晩をここで過ごすことになった。
その後、無謀さが原因の滑落、転落・・・・。奇跡的に軽症で済み、無事生きて帰れたのが不思議だ。
ビバーク中見た、真っ白な銀河、黎明の荘厳さ・・・・。
危機を脱出し一般コースに戻り、血を隠し星明りに導かれ雷鳥沢のテントサイトに戻る時の気持ち。
全てが幻のようだ。

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ミノルタSRT-101

カラパタールから見るエベレスト、ヌプチェ

会社を辞め、西南アジアを放浪した時、真っ先に行ったのがネパールであった。
山麓を歩くという事は、山麓の村々を尋ねることであり、人々と出会う事だと知った。
アルピニズムなるものの対象でもある聖なるヒマラヤの山々は、麓に住む人々の生活の場であり信仰の対象である事を知った。
僕の内なるアルピニズムは瓦解した。


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ニコンD70s AF Nikkor 35-135mm F3.5-4.5

野麦峠スキー場から見る、乗鞍岳

若い頃は鋭角的な山の姿が好きだった。今は山の”おなやかな表情”が好きである。
変わらないのは、木々の隙間から山を写したり、前景に何かをおいた写真は好きでない事。
僕にとって山の写真には、塩もスパイスも要らない。
山だけを”で~ん”と撮りたい。

この2回、封印していた山への想いがこぼれてしまった。次からまたいつものブログに戻します。
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by kawasemibox | 2007-03-01 23:53 | 山岳

懐かしの冬山ー八ヶ岳厳冬

今日、学生時代の友人の告別式があった。
僕は彼とは付き合いもなかったので参加しなかったが、久し振りに昔のことを思い出した。
昔の写真を見ていると、ちょうど前日、"八麓知ろう”さんのブログを見ていたせいもあり、八ヶ岳登山の写真に眼が止まった。
社会人になって初めての冬山行だった。

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ミノルタSRT-101 ロッコール100mmF3.5

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ミノルタSRT-101 ロッコール35mmF2.8

八ヶ岳主峰 赤岳

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八ヶ岳連山 ミノルタSRT-101 ロッコール35mmF2.8

冬山経験のない会社の友人にせがまれて、二人で登った。
初体験なら”安全な冬山”という事でこの山を選んだ。
阿弥陀岳を登ったまでは順調だった・・・・。
だが、赤岳に続く稜線がナイフリッジになっているところで、彼は突然恐怖に襲われ一歩も動けなくなった。
左右どちらを見ても足元から切れ落ちている。
高度恐怖症にかかったようだ。
”心配しなくても、僕が無事に通過さしてやる”こう言っても彼の眼は宙を泳いでいる。
念の為持っていったザイルをつないでも、暖かいコーヒーを飲ませて落ち着かせても、なだめすかしても彼は動いてくれない。
僕が先に行ってもついてこない、腹を立てて下山にかかっても降りてこない。仕方なく僕は待った。
1時間、2時間、3時間、時はどんどん過ぎて行き、寒風に晒された体は急速に冷えていく。
それでも彼は動いてくれない。
このとき僕は初めて恐怖を感じた。”このままでは、やばい”

”おまえ、このままでは二人とも死ぬぞ!登るのか、降りるのかはっきりしろ、お前はここに何しにきてん!”ぼくは怒りでいっぱいになった。
ぼくの気迫に負けたのか、やっと彼は登ると言った。
後は時間との戦いだった。ツエルトを持っていたとはいえ彼は冬山初体験。日没までに山小屋へ・・・。

日没直前、間一髪のタイミングで僕達は、赤岳小屋に辿り着いた。
今思い出してもいやな経験であった。だけど今でも時々思い出す。
僕は初心者を連れて行ったことを心から悔いた。
その後、僕はほとんどの山行きを一人ですることになった。

登山に青春を捧げていたころの思い出である。
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by kawasemibox | 2007-02-28 00:39 | 山岳



凍てつく冬の夜でも、メスを求めて彷徨う猫のように、ネイチャー系写真撮影にはまっています
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